ボクシングコラム!〜タイトルマッチ:『モハメド・アリ』〜
「蝶の様に舞い、蜂の様に刺す」
華麗なボクシングスタイルで、ヘビー級に革命を起こし、
歴代すべての階級を通じて、ナンバーワンチャンピオンとして、
名前が挙がるのが、モハメド・アリである。(本名:カシアス・クレイ)
1960年のローマ五輪で、ライトヘビー級の金メダリストとなった後、
プロに転向し、4年後に、世界ヘビー級チャンピオンに輝いた。
それから3年に渡り、王座を9度防衛し、
”最強” の名を欲しいままにしたが、アリが、
今日においても最強と呼ばれる理由は、戦績だけではない。
ビッグマウスで世間の注目を集め、ベトナム戦争時に懲役を忌避し、
世界タイトルを剥奪されるが、後に、奇跡のカムバックを果たすといった、
ドラマチックな人生が、尊敬を集めているからだ。
そんなアリがフォアマンに勝ち、再びチャンピオンに返り咲く、
2年前に、日本でノンタイトル戦を行っていたことは、
あまり知られていない。
カムバック後、ジョー・フレイジャーに判定負けを喫し、
「アリ限界説」が流れる中、アリは日本で、
マック・フォスターを相手に、ノンタイトル戦を行っている。
1972年4月1日、エイプリルフールのことである。
この時アリは、30歳。
選手としての絶頂期を、ライセンスはく奪で奪われ、
下がり目になってはいたものの、アリが日本に来て、
試合をするということは、例えるなら、ビートルズ来日公演ほどの衝撃であり、
会場となった日本武道館には、多くの観客が詰めかけた。
アリは試合前、5ラウンドKOを予告していたものの、
試合は、15回フルラウンド闘っての、判定勝ち。
一度もダウンを奪うことなく、
集まったファンの満足度は、半減した。
実力差が明らかな相手に対して、
KO勝ちできないアリは、「もう終わった」 と、
誰もが思ったが、その後、アリは時の絶対王者フォアマンに勝利し、
再び、チャンピオンとしての道を歩いていく。
その過渡期に来日して、試合を行っていたことは、
記憶に留めておきたいところだ。
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