ボクシングコラム!〜日本人チャンピオンの歴史、輪島功一〜
国立競技場が解体され、2020年の東京五輪に向けて、
新国立競技場の建設が開始されているが、予算の問題など、
前途多難な様相を見せ始めている。
スポーツ観戦に、競技場の良い雰囲気は欠かせないものだが、
昭和の時代には、味のある独特の雰囲気を持った会場が、いくつもあった。
多くの日本人が、世界王座を奪取した会場の1つが、
今では解体された、”日大講堂” で、なかでも、
J・ミドル級タイトルマッチで、輪島功一が、
2度目の王座返り咲きを果たした、柳済斗戦は伝説化し、
今でも、多くのボクシングファンの心に、焼き付いている。
1度失った王座を取り返し、初防衛戦で、輪島は柳に敗れていた。
限界がささやかれる中、輪島は、リターンマッチを希望する。
大方の予想は、輪島絶対不利だった。
しかし、「炎の男」 と呼ばれる輪島は、静かに闘志を燃やしていた。
”カエル飛び” など、変則的な戦法が、注目されがちだが、
日本人に不向きな重量級で、輪島が闘い続けられたのは、
そのクレバーさの、賜物だった。
輪島は、試合前の軽量などで、体調が悪いように装い、
柳サイドの油断を誘った。
いざ試合が始まると、輪島は元気そのもので、
次々にパンチをヒットさせ、14ラウンドが終わった時点で、
判定勝ちは、動かぬところだった。
無理に攻めるなと、セコンドは指示したが、
輪島には、「KO負けはKOで返す」 という信念があった。
最終ラウンドでも猛攻を仕掛け、
輪島の右ストレートで、柳はたまらず膝をつく。
そのままカウント10を迎え、輪島の奇跡の2度目の王座奪回に、
観客は、熱狂的な拍手を送った。
引退後は、バラエティ番組などで、おとぼけ発言をしている輪島だが、
そのクレバーさは、半端なものではない。