ボクシングコラム!〜日本人チャンピオンの歴史、具志堅用高〜
日本ボクシング界で、未だに破られていない不滅の大記録が、
具志堅用高が打ち立てた、世界戦連続防衛・13回である。
現在では、バラエティ番組などで大活躍で、
当時を知らない人間から見れば、”ちょっと変わったおっさん” と、
見られがちな具志堅氏だが、チャンピオン当時を知る者にすれば、
鋭い眼光と、特徴のある髪形で、「カンムリワシ」 と、呼ばれていた姿が懐かしい。
プロデビューから、僅か9戦目で、
世界チャンピオンベルトを巻くことになったのが、この試合である。
当時、具志堅は、新設されたばかりの、
J・フライ級世界ランキング・10位。
対する王者グスマンは、「リトル・フォアマン」 との、
異名をとるほどの強打者で、有名だった。
従って、試合前はグスマン有利との声が、圧倒的で、
具志堅の勝利を予想する声は、ほとんどなかった。
しかし、いざ試合が始まってみると、
具志堅のシャープなパンチが、グスマンを襲う。
2ラウンド終了間際、カウンターが決まり、
グスマンがキャンパスに膝をつき、観客が沸きかえる。
優位に立ったものの、気の抜けない展開が続き、
危うい場面もあったが、強気に攻めた具志堅は、
7ラウンドに強打を浴びせ、再びグスマンに膝をつかせる。
さらに襲いかかろうとする具志堅を、レフェリーが制し、試合終了。
予想外のKO勝利だった。
時々、世界タイトルマッチが予定より早く終わった際、
具志堅氏のかつての雄姿を、目にすることができる。
どの試合を見ても、当時の最軽量級とは思えない、
スリリングでド迫力に満ちた闘いが、堪能できる。
なかでも、ダウンした相手に、なおも襲いかかり、
パンチを浴びせようとする姿は、現在なら、
反則を取られかねない、すれすれの行為だ。
沖縄出身、初の世界チャンピオンとなった、
具志堅氏の快進撃は、ここから始まったのだった。