ボクシングコラム!〜タイトルマッチ:『アレクシス・アルゲリョ』〜
フェザー級・Jライト級・ライト級と3階級制覇を成し遂げた、
「ニカラグアの貴公子」 アレクシス・アルゲリョも、
日本で試合を行っている、名王者の一人だ。
ニカラグア初の、世界王者となったアルゲリョは、
華麗なテクニックと、細身に似合わぬ強打で、
世界中のボクシングファンを、魅了した。
挑戦したのは、世界ランキング2位の、ロイヤル小林。
18戦全勝の内、16KOという、申し分ない成績を持って、
アルゲリョに挑戦したわけだが、世界との差を、
まざまざと見せつけられる結果となった。
試合が行われたのは、1975年10月、場所は蔵前国技館。
ゴングが鳴ると同時に、両者は激しく打ち合った。
右ストレート、左アッパーを確実にヒットさせる、
アルゲリョに対して、パンチ力に自信を持つ小林も応戦するが、
いかんせん、テクニックに差がありすぎた。
アルゲリョは、慌てることなく、
ジワジワとプレッシャーをかけ、小林を追い込んでいく。
そして、迎えた第5ラウンド。
アルゲリョが放った左のボディブローが、
小林を悶絶させ、ダウンを奪う。
かろうじて、小林は立ちあがるものの、
再びボディにパンチを浴び、今度は立ち上がれなかった。
天才ボクサー、アルゲリョの強さが際立った試合は、こうして終わった。
アルゲリョはその後、当時史上初となる、
”4階級制覇” にチャレンジするが、
アーロン・プライヤーとの激闘の末、敗北する。
引退後は、政治に関わるが、
貧困、コカイン中毒などの末、汚職に関わっていた噂が流れる中、
自殺とも他殺とも言われる、非業の最期を遂げる。
天才ボクサーの行く末を、誤らせたのは何だったのか。
一方、小林はこの敗戦を機に、練習に打ち込むようになり、
1年後、屈辱を味わった蔵前国技館で、念願の世界タイトル奪取を果たす。
大卒ボクサーとして、日本人初の世界王者に輝いた。
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