ボクシングコラム!〜世界戦:『ジョージ・フォアマン』〜
最近は、めっきり目立たなくなったが、
かつてのボクシングの花形と言えば、ヘビー級チャンピオンだった。
中量級の時代が来たのは、1980年代のことで、
シュガー・レイ・レナード
トーマス・ハーンズ
ロベルト・デュラン
マービン・ハグラー
と、いずれも名チャンピオンが、ボクシング界を大いに盛り上げた。
そして、マイク・タイソンの時代となり、
世間の注目が、再びヘビー級に集まっていくのである。
それより以前の1973年9月に、日本では、
初めて、世界ヘビー級のタイトルマッチが開催された。
来日したのは、時の絶対王者、ジョージ・フォアマンであった。
(驚くことに、メイン・イベントですらなかったのだが...)
世界ランキング9位の、ホセ・キング・ローマンと行われた一戦は、
いとも簡単に終わった。
僅か、1ラウンド2分0秒で、フォアマンがKO勝ちを収めたのだ。
「殺人パンチ」 と呼ばれる、フォアマンの強打を、
目の当たりにしたわけだが、「ドスン」 と重々しい音が響く度に、
挑戦者のローマンは、悶絶するしかなかった。
ライトヘビー級上がりの挑戦者は、完全なピエロでしかなく、
タイトルマッチが決まった後に、世界ランキング入りするという、
極めて杜撰なものだった。
それでも、「フォアマン強し」 のイメージは、
日本のファンに、強く植え付けられた。
この試合から1年2ヶ月後、キンシャサで、
モハメド・アリと歴史的名勝負を繰り広げ、
まさかの敗北を喫したフォアマンは、28歳で引退し、
宣教師としての道を歩むが、雇っていた会計士が、
横領事件を起こしたことがきっかけで、現役復帰する。
2度の世界戦敗北にもめげず、
1994年11月、マイケル・モーラーをKOで破り、
世界ヘビー級チャンピオンに返り咲いた。
45歳での王座返り咲きが、世の人々を勇気づけたことは、言うまでもない。
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