東京オリンピック、1940年の開催返上と1964年の招致/オリンピック関連コラム
2020年の東京オリンピック招致は、2度目ではなく、3度目の招致成功である。
誰もがよく知る、1964年の東京オリンピック招致は、2度目の招致だ。
1度目の招致は、1940年の、「幻の東京オリンピック」 である。
1931年10月の東京市会で、満場一致でオリンピック開催への立候補が決議され、
1932年に行われた、ロサンゼルスで開催される、IOC総会にて、
東京府・東京市は、1940年のオリンピック開催都市に、正式立候補した。
最終的に、「イタリア・ローマ」、「フィンランド・ヘルシンキ」 との争いとなったが、
1935年に、ノルウェーのオスロで開催された、IOC総会は紛糾。
翌年に開催されるベルリン総会に、決定が延期となった。
その後、イタリアが、第2次エチオピア戦争を開始したことで、
ローマは手を引き、ヘルシンキとの一騎打ちで東京が勝ち、招致に成功した。
しかし、1937年7月7日の、”盧溝橋事件” を発端として、支那事変が勃発。
国内では、戦略資材の逼迫して、競技施設の建設に影響が出始め、国外からも批判を浴びた。
そして1938年7月15日、閣議で開催返上が正式決定された。
代替で、ヘルシンキが開催地となったが、1939年に、
第2次世界大戦が勃発したため、オリンピック自体が中止となっている。
第2次世界大戦終了後、日本がIOCに復帰を果たしたのは、1951年のことであった。
1952年開催の、ヘルシンキオリンピックには、代表選手団103名を派遣している。
そして、1960年の東京オリンピック開催の立候補に向けて、動き出した。
しかし、1956年の開催地が、オーストラリアのメルボルンであることから、
1964年に焦点を合わるべきとの、IOCからのアドバイスがあり、1964年の招致に変更。
1959年に、ドイツのミュンヘンで開催されたIOC総会では、
「アメリカ・デトロイト」、「オーストリア・ウィーン」、「ベルギー・ブリュッセル」
というライバルがいながら、全56票中、”34票” を獲得して、招致に成功。
幻に終わった、1940年の東京オリンピックで成し遂げられなかった、
アジア地域で、初のオリンピック開催を果たした。
実は、1964年の東京オリンピックには、こんな隠れたエピソードもあったのだ。