日本馬が海外に渡るようになったのは、いつからか?
世界最高の賞金がかかるG1レース、『ドバイワールドカップ』 に、
ホッコータルマエが、3年連続で挑むなど、日本馬の海外挑戦は、珍しくなくなってきた。
ところで、日本馬が海を渡るきっかけになったのは、いつからなのだろうか。
海外挑戦は、それまでにもあったが、現在の様に、
頻繁になるきっかけを作ったのは、1998年のこと。
牝馬、シーキングザパールが、フランスのG1レース、『モーリスドゲスト賞』 を制し、
日本調教馬初の、海外G1レース制覇を果たして、以降のことだ。
記念すべきレースの騎乗を務めたのは、現在でも現役バリバリの、武豊で、
海外での騎乗経験が豊富で、フランス競馬にも精通していたことが、勝因の1つだった。
そのわずか一週間後、同じフランスの地で、タイキシャトルが、G1レースに勝利している。
さらに、翌1999年には、エルコンドルパサーが、フランスでG1を含む、重賞2勝の他に、
名門レース、『凱旋門賞』 で、2着と健闘している。
それまで、幾多の名馬が、期待を胸に海外挑戦を行っていたが、
結果は、散々足るものに終わることが、多かった。
日本国内でも、輸送には特別気を使うものだ。
前日まで好調だった馬が、レースに向けて、前日輸送を行い、
当日、惨めな結果に終わることは、珍しくはない。
馬も人間同様、体調やメンタルなどに、影響されやすいものなのだ。
初の海外G1を果たした、シーキングバザールは、
フランスのレースに出走するのに、イギリスに入厩している。
普段調教する馬場に、一番適していたのが、
イギリス・ニューマーケットの調教場だったからだ。
今と違い、情報もない時代に、海外勝利を飾ることができたのは、
スタッフのこうした、緻密な計画があってのことだった。
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