ボクシングコラム!~日本人チャンピオンの歴史、井岡弘樹~

日本のボクシング界を語る上で、
欠かせない人物が、エディ・タウンゼントだ。
力道山の誘いで来日したエディは、多くのジムでトレーナーを務め、
藤猛やガッツ石松を始め、6人の日本人世界チャンピオンを育てた。
その中で、最後の教え子となったのが、井岡弘樹だ。
この日、満員の観衆で、熱気渦巻く大阪城ホールだったが、
エディは、瀕死の状態で、井岡のセコンドにつこうとしていた。
しかし、試合開始のゴングが鳴るころ、エディの姿はなかった。
呼吸不全が起こり、救急車で搬送されていたのだ。
ストロー級・初代世界王者となっていた、井岡だったが、
それまで、世間の評価は、高いものではなかった。
巧さは光っていたが、力強さに欠け、
観客側からすれば、熱さが伝わってこないボクサーだった。
しかし、王座初防衛戦となったこの試合は、
井岡の熱さが、遺憾なく発揮された試合となった。
11ラウンドが終わった時点で、内容はほぼ互角。
残すところ、あと1ラウンドとなって、
判定にもつれ込むと、どう転ぶか分からない状況だった。
運命の最終ラウンドが始まり、
井岡の右ストレートが、クリーンヒットする。
かろうじて、挑戦者は立ちあがるが、
井岡はかまわ、ず強烈なパンチを浴びせた。
それは、これまでに見せたことのなかった、
井岡の荒々しいファイトだった。
井岡の勝利から10時間後、エディは井岡の初防衛成功を知り、
微笑んだ後、肝臓がんのため、息を引き取った。
その後、井岡は、日本人として3人目の、2階級制覇を成し遂げる。
時代は平成に入り、国内でもっとも活躍したトレーナーに贈られる、
「エディ・タウンゼント賞」 が創設されるなど、その功績は、
今も広く称えられている。