ボクシングコラム!〜日本人チャンピオンの歴史、白井義男〜
2015年で、戦後70年を迎える日本。
戦後復興において、スポーツは大きな役割を果たしてきた。
まだ、復興の途上にあった昭和27年、日本で初めての、
ボクシング世界タイトルマッチが、後楽園球場で行われた。
当時、プロ野球はまだ、フランチャイズ制が確立される前で、
後楽園球場は、巨人軍のホーム球場として、定着していなかった。
まだ、プロ野球よりも、大学野球の方が人気があった、時代の話である。
そうした中、後楽園球場に満員の観客が押し寄せて、試合が始まった。
誰もが、白井に期待し、敗戦に打ちひしがれた思いを、熱い視線に乗せていた。
試合開始は、午後8時過ぎ。
白井が、コーチ兼マネージャーのカーン博士と共に、姿を現す。
ゴングが鳴り、前半は静かな闘いが続いた。
29歳の白井と、35歳のマリノは、
ともにスタミナの消耗を避け、派手な打ち合いを避けたのだ。
じりじりとした闘いが続く中、試合が動いたのは、第7ラウンド。
マリノの左フックが、白井を襲う。
しかし、観客が大声援で白井を後押しし、猛反撃を開始する。
カーン博士直伝のワン・ツーが、マリノの顔面にヒットする。
後半までスタミナを溜めていた成果が出始め、白井の勢いが増していく。
最終・15ラウンド終了のゴングが打ち鳴らされると、
後楽園球場に集まっていたファンの誰もが、白井の勝利を確信し、
ジャッジの採点を、レフェリーが読み上げる前から、
勝利の万歳を繰り返していたのだ。
白井の勝利は、ボクシングだけのものではなかった。
敗戦に打ちひしがれ、全ての面で自信喪失していた、
日本人を勇気づけることになった。
この後、日本は急激な復興を遂げていくが、
それは、白井のチャンピオンの栄光と、無関係ではなかった。