ボクシングコラム!〜タイトルマッチ:『エデル・ジョフレ』〜
ブラジルが生んだ名王者、エデル・ジョフレは、
巧みな防御と軽量級に似合わぬ強打で、
「黄金のバンタム」 との、称号が付いている。
未だに、”バンタム級史上・最強王者” に、推す専門家も多いジョフレは、
生涯戦績・69勝2敗と、卓越した実績を誇っている。
その無敵の王者ジョフレに、2度土をつけたのが、
日本初の2回級制覇を成し遂げた、ファイティング原田だ。
無謀なチャレンジと、誰もが思ったが、伝説の王者が敗れる姿を、
日本のボクシングファンは、目撃することとなった。
試合が行われたのは、昭和40年5月。
場所は、愛知県体育館。
ジョフレの強さは広まっており、原田の2階級制覇は、
とても無理だろうとの、雰囲気が充満していた。
しかし原田は、スタミナに絶対的な自信があった。
攻撃は最大の防御とばかりに、打たれても打たれても前に出続ける。
とは言え、絶対的王者のジョフレは、すぐに原田のパターンを見破る。
5ラウンドには、パンチを的確に原田の顔面にヒットさせ、
KO寸前に追い込んだ。
誰もが、もうだめだと思う中、
ジョフレ・原田ともに決定打が出ず、試合は、
15ラウンドを終え、判定を待つことになった。
「2‐1」 と、僅差の判定で原田が勝利し、2階級制覇を成し遂げる。
普通なら、文句の1つでも言いかねないものだが、
試合後には、原田を抱きかかえるなど、ジョフレは、
その強さだけではなく、優れた人格者でもあった。
リターンマッチでも原田に敗れ、一度は引退するものの、
すぐに復帰し、1973年37歳の時にフェザー級王座に輝き、
2階級制覇を成し遂げる。
引退後は、実業家として成功し、市会議員も務めた。
時がどれだけ流れようとも、「黄金のバンタム」 とは、
今なお、ジョフレのためにある言葉なのだ。
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