ボクシングコラム!〜タイトルマッチ:『マイク・タイソン』〜
時代が、昭和から平成へと移り変わり、
日本中がバブル景気に沸きかえった、80年代末、
その影響は、スポーツ界にも大きかった。
日本初のドーム球場である、”東京ドーム” が完成し、
様々なスポーツイベントが開催され、多くのスペシャリストが来日した。
ヘビー級に、彗星のごとく現れた、マイク・タイソンもその一人で、
瞬く間に、3団体のヘビー級王座を統一し、若くして絶頂を極めていた。
3度目の統一王座戦が、東京ドームで行われることが決定し、
タイソンの人気と、バブル景気もあって、リングサイドの特別席は、
10万円の値が付いたが、飛ぶように売れ、昭和63年3月、
会場には、5万1千人のボクシングファンが詰めかけた。
タイソンに挑むのは、元王者のトニー・タップス。
世界ランキング2位の実力者だったが、
全盛期のタイソンにとっては、大した敵ではなかった。
開始ゴングと同時に、タイソンはタップスに襲いかかる。
いつ、タイソンのダイナマイトパンチが炸裂するのか?
観客の興味は、試合開始から1分もたたない内に、その1点に絞られた。
2ラウンド終盤に、タイソンが、ボディへの右フックから右アッパーと、
得意のコンビネーションを見せると、タップスの巨漢がよろめいた。
チャンスと見たタイソンは、素早く踏み込んで、
左フックをタップスの顔面に炸裂させると、
タップスはキャンパスに崩れ落ちた。
レフェリーのカウントより先に、トレーナーが飛び込んでくる、
衝撃のKO劇に、観客は酔いしれた。
その後もタイソンは、次々と対戦相手をKOで葬り去り、
1年10ヶ月後に、再び、東京ドームのリングに上がる。
相手は無名の、ジェームス・バスター・ダグラス。
誰もが、タップス戦同様、タイソンの圧勝に終わると予想していた。
しかし、世紀の番狂わせによって、タイソンはKO負けを喫してしまう。
その後のタイソンは、順風満帆とは、
とても言えない日々を過ごすことになるが、
ヘビー級に、再び人々の関心の目を向けさせた、
その圧倒的強さは、永遠に、世界中の人々の心に記憶されることだろう。
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